第1回 自民党 古屋圭司先生


記念すべき第1回目の政治家インタビューは、自民党衆議院議員で成蹊大学経済学部出身の古屋圭司先生です。
【プロフィール】
古屋 圭司(ふるや けいじ)先生
昭和27年11月1日生で、成蹊大学経済学部出身。選挙区は岐阜県第5区。現在衆議院では、文部科学委員会委員、北朝鮮による拉致問題に関する特別委員会筆頭理事、自民党では中央政治大学院学院長、磁気浮上式鉄道に関する特別委員会委員長などとしてご活躍されている。

Q.成蹊大学での学生生活はどのように送っていましたか?
A.自動車部に入って活動していましたが、私が好きだったのは自動車の競技(レース)で、大学の自動車部の目指すところとは少し違っていたため、途中から学外の社会人なども参加しているチームに入って活動しました。ラリーは本格的にやっていました。上位に入ったこともあって、スポンサーもついていました。
 しかし、社会人になってから時間がなくなってしまったこともあり、やめてしまいました。国会の中ではモータースポーツ連盟の幹事長をしていて、サーキットへ走りに行くこともあります。そこでは若手議員に勝ってしまうこともあります。昔の経験というものは、少し走るとよみがえってきますね。車に限らず、メカに対して興味を持っていた学生時代でした。
Q.政治家に目指したきっかけは何でしたか?
A.私の祖父である古屋慶隆は、戦前の衆議院議員でした。政治家の家族というのは様々な行事などをお手伝いさせて頂く機会があります。というのは、本人は体一つですのでどうしても行けない場所が出てきてしまうからです。
 私が二十代半ば頃、ある地域の敬老会に行ったときに祖父の話をみなさんにしたところ、祖父を知っている方々が私の顔を見て、ざわめいたのです。そしてお話をさせていただくと、古屋慶隆先生は立派な先生だったと言って頂きました。祖父は昭和20年3月10日、東京大空襲の日に亡くなりました。この敬老会は祖父が亡くなってから三十数年後のことです。それにも拘わらず、祖父のことを思い出して話して頂ける、これは素晴らしいことです。政治というものには、未来に対する責任があるのです。私の祖父はこの未来に対する責任を果たしていたからこそ、時が経ってもみなさんの記憶の中に残して頂いているのだと思います。私はこのことに対して、強い魅力を感じました。まだ私は被選挙権も持っていない年齢でしたが、これ以来政治家を目指すようになりました。
 私が当選したのは37歳のときですから、ちょうど13年かかりましたね。13年間は会社に勤めながら、週末は地元に帰って政治の勉強をしましたし、様々な講座などをとにかく貪欲に受けました。
 また、もう一つ政治家を目指す原点があります。私は中学生の頃、アメリカに3年間ホームステイしていました。そこでは、学校の各クラスにアメリカ国旗が掲げられており、また一般家庭にもリビングなどに国旗がありました。彼らは毎朝、国旗に向かい胸に手を当てて誓いを述べるのです。その言葉は、「I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.」です。これは、「私はアメリカ合衆国の国旗と、その国旗が象徴する共和国、神のもとに統一され全ての人々に自由と正義が約束された不可分の国に忠誠を誓います」というものです。私はこの光景を見たとき、最初は違和感を覚えました。しかし、自分が生まれた自らの国に対して、愛着心と忠誠心を持つことというのは自国民として、独立国家・主権国家である以上、当たり前のことなのです。私は、国が今まで築いてきた大切なものを次の世代に引き継ぐ、モデルチェンジすべきものはして根幹は変えずに引き継いでいく、これが大切だと思うのです。政治をする上で、今がよければいいという考え方はダメなのです。
 一昨年の衆議院選挙では、私が所属する自民党は非常に厳しい戦いを強いられました。あの時に民主党が打ち出した、子ども手当や農家の戸別所得補償などの政策は、今がよければいいという政策です。これを国民は魅力的に感じたわけです。一方、私たち自民党としては、本当の国民目線や国家感というものを忘れて、ただひたすら政権を維持するということが目的化してしまいました。それに対して国民に愛想を尽かされてしまったのです。ただ、今の政権が未来に対する責任を果たしているかというと、答えは「ノー」です。彼らは、今の自民党がやっていることは無駄遣いで、それを止めれば16兆円程のお金は出てくると言いました。これを国民も信用したわけです。しかし、実際にはそれほど出てこなかった。つまり、現実的に私たちは無駄遣いをそれほどしていなかったのです。思うように財源が確保できなかった民主党は、赤字国債を発行しました。これは財政による児童虐待とも言えるべきことなのです。国が借金をするということは、今の子どもたちが成長して大人になったときにそのツケが回るのです。このようなことを続けていけば、国家そのものだけでなく、国民がダメになってしまいます。政治というものは、本当の弱者を支援するということが大切です。それに加えて、もう一つ大切なのは、「頑張る人」を応援するということです。努力してもしなくても同じであれば、人間というものは努力しないのです。本当に努力する人を報いるということが私たちの大原則にあるのです。そこが今の政権と違うところですね。
 話が多岐にわたりましたが、国家というものを大切にすることが大切で、今まで培ってきた歴史・伝統・文化を重んじつつ、次の世代につなげていく。そして未来に対する責任を果たすというのが大事なのです。 初当選の選挙では1位当選と落選との得票数が1万票も差がありませんでした。そういった激戦の中で、86800票という支持を頂いて、初めて当選することができました。それが私の政治家としての出発点です。
Q.なぜマニフェストはなかなかその通りに実現できないのでしょうか?
A.マニフェストというものは、耳あたりの良い言葉を載せるほど評判はよくなります。ただし、それが実現できるかというと別問題です。マニフェストという概念は元々イギリスの議会で生まれて定着したものです。イギリスの場合、マニフェストは実現可能な範囲内、つまり財源に裏付けがあるものです。日本においてはそこまで定着していなかったということと、今回に関して言えば、民主党は十数年前の一時期を除いてほとんど政権を担当していなかったことがあげられます。与党としての責任についてあまり理解をせず、政権を取ることを目的としたマニフェストだったのです。そのため、実際に政権を取ってみると、化けの皮が全部剥がれ、実行不可能になったのです。
 イギリスの場合は、労働党と保守党の二大政党制で、たびたび政権交代が起こっています。だからこそ、しっかりとしたマニフェスト選挙が行えるのです。私はマニフェスト選挙を悪いものだとは思いませんが、日本においてやる場合は、掲げた政策は実行するというルールを守らなければ、意味がないと思いますね。
Q.地域医療についてどう考えますか?
A.まず、なぜ地方で医師不足になったと思いますか?実は医学生のほとんどが、大学の医学部で臨床実験を行うことと関連して、都会に出て行っていました。それが積み重なって地方出身の者でも都市で医者になることが多くなってしまいました。これが、地方で医師不足が生じている一つの原因としてあげられます。もう一つは、地方では産婦人科や小児科の医師にとって働きやすい環境にはなかなかなっていないということです。内科医は開業医などが地方でもたくさんいます。一番少ないのは産婦人科と小児科なのです。特に産婦人科は24時間体制で大変です。それに加え、訴訟リスクを抱えていることが大きな問題になっているのです。確率でいえば1000人のうち3人は正常ではない子どもが生まれてきてしまいます。そしてこのとき親側が医者を裁判で訴えるとなると、厳しい審判を受ける場合が多いのです。この現状が続く限り、産婦人科医が多くなることは望めません。これを解消するために、産婦人科については、事故が起きた場合は無過失責任で保険を必ず適用するという制度を作っています。
 また、地域医療とは少し違いますが、脳外科の訴訟リスクも非常に高くなっています。京都大学の脳外科は日本でも非常に高いレベルなのですが、この京都大学の脳外科を目指す学生が極端に減っています。脳外科というものは最先端の技術を駆使してやるわけですから、場合によっては失敗するケースも出てきてしまいます。失敗は成功の母です。しかし、失敗によって訴訟される場合があるのでは、チャレンジしなくなってしまいます。加えて、失敗を防ぐためには、失敗した際の原因究明が大事です。しかし、医師側とすれば本当のことを言えば訴訟の際の材料に使われてしまうという恐怖から言い出せない場合もあるのです。日本の脳外科はこのような悪循環に陥っているのです。
 隣である韓国の脳外科ではここ7,8年でレベルが格段に上がってきています。なぜなら、韓国では訴訟の際、医者を守るような抑制的な判決が出ているからです。一方、日本では、必要以上に患者の人権を守ることが裁判で主張されていることがあり、日本の優秀な医者は韓国などの外国に行き技術を磨くというケースが増えています。
 産婦人科の医師不足は、やはり24時間体制で過酷だからです。8時間ずつ働くとして3チーム必要になる、3チーム分の医師を抱えるというのは地方公共団体において非常に財政的に厳しいという点もあります。このような深刻な状況を打開すべく、今行われている対策としては、各都道府県にある国公立大学の医学部において枠を増やしています。そのかわり、卒業した後、一定年必ずその地域で勤めることを義務づけるという取組みが行われています。これが3年前から始まっているため、彼らの第一陣が医者になるにはあと3年必要ですが、良い方向に進むことは間違いないでしょう。
Q.古屋先生の地元の魅力はどういったところにありますか?
A.私の地元では、古くからの伝統・文化というものが多く残っています。例えば、中津川や恵那では、歴史的な遺産が多く残っています。西側は陶磁器産業が盛んです。これは織田信長が奨励していたのでもう400年以上前から行われています。みなさんが陶磁器のことをセトモノと呼びますが、実はあれは織田信長の勘違いからついた名前なのです。愛知県に瀬戸市があり、その隣に私の地元である美濃があります。織田信長が美濃の国を訪れた際、ここには良い土があるから品質のよい陶磁器が作れるはずだ、もっと盛んに陶磁器を作ろうといったわけです。そして信長は、ここは瀬戸の国だからここで作った陶磁器をセトモノと呼ぶことにしようと決めました。しかし、実際は美濃の国であり、瀬戸ではなかったのです。この勘違いがなかったらセトモノはミノモノと呼ばれていたかもしれませんね。
 現実に、今の日本の陶磁器生産の60%は私の地元である岐阜で作っています。ただし、中国で大量に安価で生産されてしまうため、脅かされているのが現状です。そもそも陶磁器というものは、産業というより文化・芸術なのです。それを大量生産で1円でも安く、と昭和30年代後半から変わっていってしまいました。そのことについて今は反省しなければなりません。
 そして何としても実現したいものは、リニア中央新幹線です。これが開通すれば、東京-名古屋間を約40分で結ぶことになります。技術的な面では、ほぼ確立しており、今年半ば頃には国土交通省での審議会を経て、ほぼGOサインが出る予定です。ただ、こういった大規模な工事をする前には、環境アセスメントが必要であり、この作業に大体3年程かかります。したがって、3〜4年後には着工になり、10年程で完成となります。 また、各県に1つは駅を作るということが合意されました。私の地元にも駅ができる予定です。駅ができることによって、人口や企業などが増え、繁栄するでしょう。ただしその反面、東京まで30分、名古屋まで7、8分でつながるということは、ストロー現象になり、労働者が大都市に働きに行ってしまう可能性も出てくるのです。ですので、あくまで駅を作ることが目的ではなく、手段として考え、私たちの文化・自然・伝統豊かな私の地元に、最先端の技術を入れることによって、新旧の融合を図ることができると考えています。
もう一つ考えられることがあります。現在多くの企業が東京に本社を置くのは便利だからです。もし、リニア中央新幹線が開通すれば、東京までの距離はぐっと近くなり、そしてIT技術の発達によって東京に本社を置く必要がなくなってくるわけです。地方に出れば、広い土地を低価格で手にすることもでき、企業にとっても地元にとっても好影響を与えることになるということもあります。
 今、挙げた政策を実行していくことによって、政治家としての地元に対する貢献、そして未来に対する責任を果たせるのではないかと思っています。
Q.ITに強い人間を外国に流出せず、日本で育成していくためにはどういった政策が必要だとお考えになりますか?
A.ICT(※)関連というのは伸びる可能性を秘めていることは間違いありません。私も党の情報通信の責任者を平成8年から務めているのですが、あの当時国に求められていたものはインフラ整備でした。その時に、高速回線網を張り巡らせ、通信料金を安くすることが必要だと思いました。1996年に楽天の三木谷社長とお会いした際に、政治家にやってほしいことがあると言われたのです。それは、先ほどの高速化と通信料金の低価格化でした。あの当時の日本は世界でも有数の通信料金高額国でした。そこで私は2項目を実現するために様々な所に働きかけ、今では、世界で最も安い国になりました。
 国内の通信インフラはほぼ出来上がったと言っていいでしょう。これからはその環境をどう活用していくかが問題です。ビジネスモデルは無限にあります。必要なのは若者の発想です。今、若者がやるべきことは学術を勉強することではなく、自分の感性を磨き、新しいビジネスモデルを作り上げ、挑戦をしていくことです。私たちは、挑戦をして失敗した人たちの再チャレンジを支援する環境を作っていくことが仕事だと思っています。
 頑張らなくてもお金がもらえるなら、誰も努力しないのです。だからこそ、新しいことにチャレンジし、頑張っている人たちを政府は応援していきたいですね。
Q.成蹊大学の学生に向けてメッセージをお願いします。
A.成蹊大学の基本理念である、「桃李不言下自成蹊」を守ってください。これはすべての世界に通用します。大学を卒業してからも人生訓にしてほしいですね。
Q.学生にむけてメッセージをお願いします。
A.もっと目を広く向け、世界を見てください。しかし、自分が日本人だという誇りは絶対に忘れないでください。世界にチャレンジすること、海外に留学すること、大いにやってください。しかし、自分の立脚の原点は日本であるということは常に心に持ってください。そういう気持ちを持っている人こそが、海外でも評価をされます。ぜひ、頑張ってください。
※ICT = Information Communication Technologyの略。情報を共有することを念頭においた表現として、IT(Information Technology)に代わって用いられることが多い用語。なお、行政においては総務省の「IT政策大綱」も、平成17年までにはすでに「ICT政策大綱」に改称されている。

編集後記
本日はお忙しい中、長時間にわたってお話し頂き、ありがとうございました。私たちとしましては、普段疑問に思っていることに対し、わかりやすく丁寧にお答えいただいたこと、非常に嬉しく思っております。また何らかの形で、先生のお話をお伺いできたらと思っております。これからもよろしくお願いいたします。
※このインタビューは東日本大震災前に実施いたしました。
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